2009年08月24日

絶望と希望の窮状に立って

 恥を承知で告白するのだが、私は拉致問題に関して無知に近い状況であった。昨年、地域の九条の会主催行事で、主旨とは関係なく参加していた男性に、「なぜ、九条の会のように平和運動をする人たちは拉致の問題に関して何も発言しないのか?九条の問題よりもあの人権侵害国家が隣にあるということのほうが、重要じゃないか」と詰問された。そのときとっさに、「拉致問題を解決するためにも、憲法は変えてはいけないはずだ。国家間の紛争の解決手段として、武力に頼らない国として交渉することが大事なのではないか。あらゆる人権が侵害されてはいけないのだから。」といった返答をしたことを覚えている。この返答が完全だったとは全く思っていないのだが、今でも方向としては正しかったはずだと思っている。

 しかし、質問にあったように私自身が拉致問題を積極的に人権侵害の問題として捉え、解決を主体的に望んでいたかと聞かれれば、「すみません」としか言いようがない程度の認識だったことは素直に反省すべきだと考えている。

 ではなぜ、日ごろから人権や平和を問題としている人々の中において拉致問題がそうしたテーマの一つとして認識されなかったのだろうか?それは、拉致問題に関する情報が、あまりにも国家主義的方向へと国民を誘導する形で提供されていたという状況が、一つの原因だったのではないだろうか。また、戦争という事態が国家政治の最大の失敗結果であり、最大の人権侵害であるにもかかわらず、それを自覚させえない方向へと大衆意識が誘導されつつあり、その材料として拉致問題が利用されていることに直感的に気付いていた人たちが少なからずいた結果、とは考えられないだろうか。もちろん、だからといって、無関心であったことが許されることではないことは十分に承知している。だからこそ、今回の講演会は大変意味のあるものなのではないかと心底感じている。

 蓮池透さんは森達也さんとの対談のなかで、「北を打倒したい人は、それだけで運動してくださいということなんです。私が一番言いたいのは。この拉致問題に絡めて、家族を利用して、北打倒なんていう運動にすりかえないでくれと」発言している。そして、森さんも「拉致問題の周辺には、不合理なこと、あるいは何らの作為が働いているとしか思えないことが、とても濃厚に存在しています。」と違和感を唱えている。二人の意見に全く同感なのである。「おなじ国民の人権が侵害されているのに、そんなにノンキなことをいっていられるのか。」ともいわれそうだが、では、かつての国家プロジェクトとして行われた強制連行は人権問題ではないのだろうか。その清算は済んだことになっているのだろうか。そして、同国の国民のことばかりを考えてはならないと主張する人たちこそが、一国平和主義の是正として憲法九条の改訂を叫んでいたのではなかっただろうか。

 おそらく拉致問題を議論し始めることは、とてつもなく深く危険な沼地に足を踏み入れることになるだろう。しかし、決して犯されてはならない人権の問題であるがゆえにやはり、踏み入れなければならない。その場合の羅針盤を今日の討論会で手に入れることができるかもしれない。その羅針盤はアジアや世界を、いや北朝鮮で苦しむ人々にまっ先に希望の光をあてるものになるかもしれない。現在の膠着した状態を切り抜けるためには、制裁ではなく和解の道を探らなければならないはずなのだから。

宇治和貴(熊本市・廣福寺)  

Posted by 藤岡崇史 at 08:36Comments(0)TrackBack(0)イベント情報

2009年08月20日

本当のお姫さまと結婚した王子さまのおはなし

 むかしあるところに、全てが揃った素晴らしいお姫様との結婚を望むひとりの王子様がいました。王子様はお姫様を求め旅をしますが、どのお姫様も何かが足りません。旅から戻った王子様は悲しみに沈んでいました。そんなある日の嵐の夜のこと、お城の門をたたくひとりの女の子がいました。女の子は、道に迷って嵐にあいひどい姿をしているけれど、私こそ本当のお姫様だと言うのです。しかし、疑いをもつ王女様はあることを思いつき、来客用のベッドに一粒のえんどう豆を置いて、その上に20枚の敷布団と20枚の羽布団を重ね、女の子をその上に寝かせました。翌朝、王女様が女の子によく眠れたかを尋ねると、女の子は、堅いものが体にさわって痛くて眠れず、本当にひどい夜だったと答えたのです。40枚のお布団の下に置かれた一粒のえんどう豆を感じることのできる繊細さは、本当のお姫様に違いない…こうして王子様は本当のお姫様を見つけることができたのでした。


 これは、私が子どもの頃に読んだアンデルセン童話『えんどう豆の上に寝たお姫様』のあらすじです。けれど、このお話の中の本当のお姫様への違和感が、今に至るまでくすぶり続けていたので、つづきのお話を作ってみることにしました。

 本当のお姫さまと結婚した王子様が、その後、末永く幸せに暮らせるほど、人生は甘くありません。それは、お姫様の全てがいとおしく思える時期を少し過ぎた頃のこと。王子様は、お姫様への贈物の指輪をケーキの中に隠すというサプライズを計画します。ところが、心躍るその試みは、「なんて不衛生なことを」と席を立ったお姫さまの一言で、無残に砕け散ってしまったのです。お姫様の「繊細さ」は「神経質」に変わり、「まっすぐな性格」は「自己中心」としか思えなくなってしまいました。やっと出会えた理想のお姫様との結婚生活は、こうして腫れ物にさわるような緊張の日々となってしまったのです。

 そんなある嵐の夜のこと、お城の門をたたくひとりの女の子がいました。女の子は南の国のお姫様で道に迷い嵐にあったと言うので、お城に泊めてあげることにしました。翌朝、女の子は「お陰でぐっすり眠ることができました」とお礼を言うと、迎えに来たお供の者と一緒に南の国に帰って行きました。お姫様を見送った王子様が部屋へ戻ろうとした時、家来がやって来て、「帰り際にお姫様がこんなものを…。寝室の40枚のお布団の下にあったそうです」そう言って王子様に手渡したものは、一粒のえんどう豆でした。そう、それは、本当のお姫様を探すために使ったあのえんどう豆だったのです。王子様は思わず門のほうへ駆け寄りましたが、もうお姫様の姿はどこにもありません。手のひらの上のえんどう豆を見つめて、ただ呆然とする王子様でした・・・。


 そもそも「本当のお姫様」とは一体何なのでしょうか?この王子様も、当初は理想とする具体的な人格や容姿といったものがあったはずです。けれど、そのことを強く求めすぎるあまり、その閉塞感からいつしか本質を見失い「本当のお姫様」という幻影を必死で追いかけることになってしまったのでしょう。そして、悲嘆にくれた王子様の思いに同調した人たちが、更に輪をかけその幻影を追いかけ始めます。大勢の人が騒ぎ出すことによって、そのニーズに応える自称「本当のお姫様」が近寄ってくることになります。けれど、本質を見失ったお城の人たちは、「本当のお姫様」を判断する基準が曖昧になっていて、40枚のお布団の下のえんどう豆を異物と感じる繊細さのみを、「本当のお姫様」の条件としてしまったのです。

 とても滑稽です。けれど、このお話のようにいつの間にか物事の本質を見失い、気がつけば、一粒のえんどう豆の上にせっせとお布団を重ねている「私」となってしまってはいないでしょうか。「非戦・平和を願う真宗者の会・熊本」を発足させて、5年が過ぎました。願いや理想は行動の源ではありますが、本来多面的で複雑なそれらを単純化し、絶対のものとして高く掲げることの危うさを、私たちはそれぞれに考え続けなければなりません。そしてまた、この社会に充満する単純化され高く掲げられた情報に踊らされないためにも、日頃の柔軟な思考の練習が必要かもしれません。

 ところで、つづきのお話は、実はまだ終わっていません・・・

 お城を出た南の国のお姫様は、しばらくすると、大きなあくびをひとつ。それを見ていたお供の者が尋ねます。「お城では元気なご様子でしたが、お疲れなのですか?」すると、「実はね…心地よい一夜をいただいたお礼に、朝早く起きてお部屋のお掃除をしたの。40枚のお布団を動かすのはとても大変だったわ」お姫様はそう言って、二つめのあくびをしました…終わり


遠山雅美(熊本市・広徳寺)  

Posted by 藤岡崇史 at 00:17Comments(0)TrackBack(0)Vol.44-2009.08.23

2009年08月17日

『拉致-左右の垣根を越えた闘いへ-』(蓮池透・著)を読んで

著者の蓮池透さんは数年前まで拉致被害者家族連絡会の事務局長としてメディアに頻繁に登場し、北朝鮮バッシングの急先鋒に立っていた人物である。近年、その蓮池さんをメディアで見かけることはほとんどなくなってしまった。それは蓮池さんが「その運動に疑問をもった」ために事務局長を退任し、家族会の運動からも距離をおくようになったためである。

蓮池さんが持った運動への疑問とは
「右翼的な人たちの中には被害者がかわいそうだとか、人情や家族愛といった善意を前面に出して家族を支援しながら、実際には、彼らの目的である北朝鮮の体制打倒に使用しようとするもくろみがあったのではないかと、いまになって感じています」

ということであり、被害者家族の苦しみが政治利用されることへの悲しみであろう。

また「北朝鮮打倒」のイデオロギーに絡めとられそうになった過去の反省を含め、拉致問題に関する日本政府の失敗と裏切り、そして植民地支配の謝罪と補償、果ては憲法9条の問題にまで言及している。そしてその内容は私たちがメディアを通じて知ってる蓮池さんの印象とはまったく正反対のものである。

今、蓮池さんは「裏切り者」「北朝鮮のスパイ」などと盛んにバッシングをうけながらも「護憲派であれ改憲派であれ、憲法についての考え方が違っても、拉致被害者を救うためには、いっしょに運動をしてほしい」と訴え続けている。今まで不自然なまでに拉致問題に関して口を閉ざしてきた私たちがこの訴えにどう答えるのかが問われているのではなかろうか。

藤岡崇史(熊本市・真行寺)
  

Posted by 藤岡崇史 at 00:00Comments(0)TrackBack(0)Vol.43-2009.07.16