2009年08月20日
本当のお姫さまと結婚した王子さまのおはなし
むかしあるところに、全てが揃った素晴らしいお姫様との結婚を望むひとりの王子様がいました。王子様はお姫様を求め旅をしますが、どのお姫様も何かが足りません。旅から戻った王子様は悲しみに沈んでいました。そんなある日の嵐の夜のこと、お城の門をたたくひとりの女の子がいました。女の子は、道に迷って嵐にあいひどい姿をしているけれど、私こそ本当のお姫様だと言うのです。しかし、疑いをもつ王女様はあることを思いつき、来客用のベッドに一粒のえんどう豆を置いて、その上に20枚の敷布団と20枚の羽布団を重ね、女の子をその上に寝かせました。翌朝、王女様が女の子によく眠れたかを尋ねると、女の子は、堅いものが体にさわって痛くて眠れず、本当にひどい夜だったと答えたのです。40枚のお布団の下に置かれた一粒のえんどう豆を感じることのできる繊細さは、本当のお姫様に違いない…こうして王子様は本当のお姫様を見つけることができたのでした。
これは、私が子どもの頃に読んだアンデルセン童話『えんどう豆の上に寝たお姫様』のあらすじです。けれど、このお話の中の本当のお姫様への違和感が、今に至るまでくすぶり続けていたので、つづきのお話を作ってみることにしました。
本当のお姫さまと結婚した王子様が、その後、末永く幸せに暮らせるほど、人生は甘くありません。それは、お姫様の全てがいとおしく思える時期を少し過ぎた頃のこと。王子様は、お姫様への贈物の指輪をケーキの中に隠すというサプライズを計画します。ところが、心躍るその試みは、「なんて不衛生なことを」と席を立ったお姫さまの一言で、無残に砕け散ってしまったのです。お姫様の「繊細さ」は「神経質」に変わり、「まっすぐな性格」は「自己中心」としか思えなくなってしまいました。やっと出会えた理想のお姫様との結婚生活は、こうして腫れ物にさわるような緊張の日々となってしまったのです。
そんなある嵐の夜のこと、お城の門をたたくひとりの女の子がいました。女の子は南の国のお姫様で道に迷い嵐にあったと言うので、お城に泊めてあげることにしました。翌朝、女の子は「お陰でぐっすり眠ることができました」とお礼を言うと、迎えに来たお供の者と一緒に南の国に帰って行きました。お姫様を見送った王子様が部屋へ戻ろうとした時、家来がやって来て、「帰り際にお姫様がこんなものを…。寝室の40枚のお布団の下にあったそうです」そう言って王子様に手渡したものは、一粒のえんどう豆でした。そう、それは、本当のお姫様を探すために使ったあのえんどう豆だったのです。王子様は思わず門のほうへ駆け寄りましたが、もうお姫様の姿はどこにもありません。手のひらの上のえんどう豆を見つめて、ただ呆然とする王子様でした・・・。
そもそも「本当のお姫様」とは一体何なのでしょうか?この王子様も、当初は理想とする具体的な人格や容姿といったものがあったはずです。けれど、そのことを強く求めすぎるあまり、その閉塞感からいつしか本質を見失い「本当のお姫様」という幻影を必死で追いかけることになってしまったのでしょう。そして、悲嘆にくれた王子様の思いに同調した人たちが、更に輪をかけその幻影を追いかけ始めます。大勢の人が騒ぎ出すことによって、そのニーズに応える自称「本当のお姫様」が近寄ってくることになります。けれど、本質を見失ったお城の人たちは、「本当のお姫様」を判断する基準が曖昧になっていて、40枚のお布団の下のえんどう豆を異物と感じる繊細さのみを、「本当のお姫様」の条件としてしまったのです。
とても滑稽です。けれど、このお話のようにいつの間にか物事の本質を見失い、気がつけば、一粒のえんどう豆の上にせっせとお布団を重ねている「私」となってしまってはいないでしょうか。「非戦・平和を願う真宗者の会・熊本」を発足させて、5年が過ぎました。願いや理想は行動の源ではありますが、本来多面的で複雑なそれらを単純化し、絶対のものとして高く掲げることの危うさを、私たちはそれぞれに考え続けなければなりません。そしてまた、この社会に充満する単純化され高く掲げられた情報に踊らされないためにも、日頃の柔軟な思考の練習が必要かもしれません。
ところで、つづきのお話は、実はまだ終わっていません・・・
お城を出た南の国のお姫様は、しばらくすると、大きなあくびをひとつ。それを見ていたお供の者が尋ねます。「お城では元気なご様子でしたが、お疲れなのですか?」すると、「実はね…心地よい一夜をいただいたお礼に、朝早く起きてお部屋のお掃除をしたの。40枚のお布団を動かすのはとても大変だったわ」お姫様はそう言って、二つめのあくびをしました…終わり
遠山雅美(熊本市・広徳寺)
